韮山往還と山中城址
韮山往還-山中城址
2021年2月13日 伊豆HC定例山行24名
函南上沢公民館8.05―上沢旧小学校跡―半僧坊―台崎山神社(庚申の松)10.25―(国1号)芭蕉の句碑11.25―12.10山中城址公園14.20―芭蕉の句碑14.45―函南分岐14.55―坂小学校15.35―錦田一里塚16.20―16.50三島大社
函南上沢公民館前に24名が集合、コロナ禍騒動の中で久しぶりの定例山行。
上沢公民館から住宅地の中を歩き、臨江寺から明治時代の上沢小学校跡を経て熊野神社に、
梅と桜の花が咲く春の道を歩く。

幅一間の韮山往還の道から住宅地に、東海道本線の線路を越え、再び古の道に「にらやま往還」の石碑がある。

歩きながらガイドのYさん(伊豆HC会員)から説明を聞きながら歩く。
そして箱根野菜が作られている畑の中の立派な農道に出る、
箱根野菜畑の中の「台崎神社・岱先城址」で休憩。

石碑には「山中へ一里、韮山へ二里半」と記載されている。
立派な舗装された農道から古の往還道に入ると足に優しくホットする。

急坂を登ると目の前に三島スカイウォークと富士山の絶景(残念ながら富士の頭は雲の中)、

国道1号を横断して「芭蕉の句碑」を見る、

句碑から箱根旧街道に入る、石畳の道を歩けば山中城址に着く。

韮山往還道は戦国時代、北条氏の本城(小田原)と山中城から韮山城を結ぶ幅一間の道、
そして江戸時代伊豆を支配する韮山代官が江戸との往復に利用した道、
古い道沿いには道標(石碑)が置かれ石仏が置かれている。
山中城址で休憩して、ふたたびガイドのYさんから山中城址の歴史と障子堀や畝堀、曲輪跡を説明・見学した。

山中城址は北条氏の小田原城の西方防備お拠点として築かれた標高580m、自然の要害に囲まれた山城。
天正18年豊臣秀吉の圧倒的大軍の前に一日で落城した。

山中城址を見学して解散。
バスで三島に降る会員、函南に韮山往還を下る会員、旧東海道を三島大社に降る会員に分かれた。
三島大社への道は石畳の道から笹原一里塚、錦田一里塚を見る

三島大社に着く。
疲れた、本日の歩数40000歩
伊豆ハイキングクラブ
会員募集中
くわしくはHCを見てください。
http://www2.wbs.ne.jp/~izu-yama/
2021年2月13日 伊豆HC定例山行24名
函南上沢公民館8.05―上沢旧小学校跡―半僧坊―台崎山神社(庚申の松)10.25―(国1号)芭蕉の句碑11.25―12.10山中城址公園14.20―芭蕉の句碑14.45―函南分岐14.55―坂小学校15.35―錦田一里塚16.20―16.50三島大社
函南上沢公民館前に24名が集合、コロナ禍騒動の中で久しぶりの定例山行。
上沢公民館から住宅地の中を歩き、臨江寺から明治時代の上沢小学校跡を経て熊野神社に、
梅と桜の花が咲く春の道を歩く。

幅一間の韮山往還の道から住宅地に、東海道本線の線路を越え、再び古の道に「にらやま往還」の石碑がある。

歩きながらガイドのYさん(伊豆HC会員)から説明を聞きながら歩く。
そして箱根野菜が作られている畑の中の立派な農道に出る、
箱根野菜畑の中の「台崎神社・岱先城址」で休憩。

石碑には「山中へ一里、韮山へ二里半」と記載されている。
立派な舗装された農道から古の往還道に入ると足に優しくホットする。

急坂を登ると目の前に三島スカイウォークと富士山の絶景(残念ながら富士の頭は雲の中)、

国道1号を横断して「芭蕉の句碑」を見る、

句碑から箱根旧街道に入る、石畳の道を歩けば山中城址に着く。

韮山往還道は戦国時代、北条氏の本城(小田原)と山中城から韮山城を結ぶ幅一間の道、
そして江戸時代伊豆を支配する韮山代官が江戸との往復に利用した道、
古い道沿いには道標(石碑)が置かれ石仏が置かれている。
山中城址で休憩して、ふたたびガイドのYさんから山中城址の歴史と障子堀や畝堀、曲輪跡を説明・見学した。

山中城址は北条氏の小田原城の西方防備お拠点として築かれた標高580m、自然の要害に囲まれた山城。
天正18年豊臣秀吉の圧倒的大軍の前に一日で落城した。

山中城址を見学して解散。
バスで三島に降る会員、函南に韮山往還を下る会員、旧東海道を三島大社に降る会員に分かれた。
三島大社への道は石畳の道から笹原一里塚、錦田一里塚を見る

三島大社に着く。
疲れた、本日の歩数40000歩
伊豆ハイキングクラブ
会員募集中
くわしくはHCを見てください。
http://www2.wbs.ne.jp/~izu-yama/
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